気仙沼の内湾・神明崎にある五十鈴神社境内に「海苔養殖の神様」として猪狩新兵衛を祀る猪狩神社があります。
猪狩新兵衛は横田屋の四代目で、1857年、江戸以外で初めて海苔の養殖に成功した人物です。今回は、猪狩家に伝わる新兵衛の物語をお伝えさせてください。
横田屋は1706年に廻船業として創業しました。
三代目の養子であった新兵衛は相当な豪傑で、物産を乗せて江戸へ向かう途中に難破するも悲嘆することなく吉原で豪遊したり、資金を集め再び仕立てた船で出た航海にも失敗した末に、鉱山事業や胡粉製造業を立ち上げては破綻したりと、とにかく破天荒。
いよいよ食うにも困る窮地に立たされたとき思い浮かんだのは、かつて江戸で出会い意気投合した日本橋の海苔の豪商・桔梗屋五郎左衛門。新兵衛は桔梗屋を訪ね、江戸・大森の海苔作りを知ります。
当時、海苔の製造法は秘法とされ持ち出しを厳しく禁じられていましたが、新兵衛はなんと8人もの技術者を連れ出し気仙沼へ帰還。試行錯誤の末、4年がかりでようやく養殖に成功しました。
ところがその後、気仙沼で海苔養殖が広まると新兵衛はあっさりと海苔場を手放し、下総の行徳(現在の千葉県市川市の一部)から技術者を招いて今度は製塩業を始めました。
海苔養殖と製塩という生業を地元にもたらした業績に感謝した住民たちは、新兵衛を生きながら祀ったそうです。
失敗にも困難にもめげず果敢にチャレンジし、自ら道を切り拓いた祖先。
その勇敢さと行動力、先見の明に感服する反面、周囲はずいぶん振り回されただろうと苦笑いも浮かんできますが…。
新兵衛のDNAを受け継ぐ私たちも、固定観念にとらわれず新たなる挑戦を続けてまいります。
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